【必見!!】日本のアニメーションの歴史を紐解いていきながら、今後の成長を見ていこう
現在の日本では「アニメ文化」と呼ばれるほど、アニメという習慣が根付いてきました。しかし、日本がいつからアニメを作ってきたのか、どこからアニメが盛んになってきたのか疑問に思う方もいるかもしれません。
では、今回は日本のアニメーションがいつ頃生まれたのかを歴史を追って、
紐解いていきましょう!!!(^▽^)/
1.日本アニメーションの歴史
2.年代ごとの代表作
3.日本アニメーションの今後
日本アニメーションの歴史
日本で初めてアニメーションが製作したのは戦前の1917年であり、下川凹天、幸内純一、北山清太郎の3人が日本アニメの創始者されている。もともと日本では漫画家として評価されていた人物であり、ディズニーアニメの影響を受けて設立された会社によってスカウトされる。
戦争に入ると日本の海軍の依頼によって軍国制度を讃える「桃太郎の海鷺」「桃太郎 海の神兵」のようなアニメ作品が生まれるなかで、その反面、「くもとちゅうりっぷ」のような規制されたアニメ作品もあった。「くもとちゅうりっぷ」を観て感動したのが手塚治虫である。
戦後になり、1953年にはテレビ放送が始まり、番組内のコーナーでアニメが取り上げられるようになる。そして、戦後、わずか2か月で多くのアニメーターが集められ、新日本動画社を設立する。ディズニーアニメのようなアメリカの文化を取り入れようと様々な作品を出すが、どれもGHQが期待する内容に届かなかった。その後、東映動画が民間から生まれ、新日本動画社を吸収合併することで東映動画株式会社となる。
東映動画株式会社は、「東洋のディズニー」を目指してアメリカのディズニー社を視察し、作業効率を上げていく。そして、1958年にカラーテレビ放送の試作として日本テレビより日本初のアニメとして「もぐらのアバンチュール」が放送され、同年に東映によって日本初のカラー長編アニメ映画として「白蛇伝」が製作される。この白蛇伝の影響を受け、アニメーターに志望するものが増え、宮崎駿もその一人とされている。
ちなみにアメリカでは1937年にカラー長編アニメ映画として「白雪姫」が公開されているので、日本より20年早くカラーアニメを取り入れているのである。
1960年代になると手塚治虫がアニメの制作に乗り出し、1961年には株式会社虫プロダクションを設立する。そして、1963年に連続テレビアニメとして「鉄腕アトム」が生まれる。このアニメの登場によって日本ではアニメブームがおこり、毎週放送のアニメが生まれるようになる。その代表作が「鉄人28号」「ジャングル大帝」などである。
1970年代になると高度経済成長期となり、アニメ業界は危機的状況を迎えることとなる。経済成長により、アニメーターの給料は上がっていく一方で、動画の制作予算が変わらないためである。また、成長期に入ると仕事が忙しくなり、残業する父親が増えることでテレビの主導権は子供に移り、学校でもアニメの話をする子供が増えていく。
男子に人気だったのがで「マジンガーZ」「宇宙戦艦ヤマト」など。女子に人気だったのが「魔法のマコちゃん」「ベルサイユのばら」などである。また、この時期には泣ける作品として「フランダースの犬」や「アルプスの少女ハイジ」など、そして、宮崎駿の初監督作品「未来少年コナン」なども生まれている。
1980年代に入ると初めに人気が出た作品が「機動戦士ガンダム」である。そして、1982年は「AKIRA」が公開され、これを機に日本のアニメーションは世界へと認知される。さらに、1984年には宮崎駿により「風の谷のナウシカ」が公開され、宮崎駿の名は世界へと渡り、翌年にスタジオジブリを創設する。
1990年に入ると「ちびまる子ちゃん」「クレヨンしんちゃん」など国民的アニメも放送される。しかし、この時代に入るとアニメの視聴率は下がっていき、OVAに興味が移行していくようになる。OVAはテレビで公開されたものをビデオとして販売するのではなく、初めからビデオ販売を目的に企画・編集されたものです。
これまではアニメとはスポンサーの広告としての認識であり、アニメ制作会社もメディア企業と同じように広告スポンサーがおり、テレビ局はその収入をもとに製作された作品に対して放送権料をアニメ制作会社に支払うといった広告収入によって成り立っておいました。しかし、OVAの登場により、ビデオを販売していくといったアニメ単体でも収益が得られる仕組みができることで販売手法が切り替わっていきました。
そして、1990年後半に入ると海外に向けたSFアニメとして人気が出たのが「新世紀エヴァンゲリオン」である。そして、1998年にはアニメの専門チャンネルとしてアニメ番組に特化した「アニマックス」がCSなどで開設される。
そうして、2000年代に入るとインターネットの普及によって、ネットでアニメが配信されるようになる。このように今は当たり前のようにあるアニメだが、様々な背景を経て今に至っているのである。
年代ごとの代表作
1917年~1944年(戦前・戦中)
猿蟹合戦
桃太郎の海鷺
桃太郎 海の神兵
くもとちゅうりっぷ など
1945年~1950年(戦後)
もぐらのアバンチュール
https://www.youtube.com/watch?v=sXQ5D3eNJxo
1960年~1969年
ひみつのアッコちゃん など
https://www.youtube.com/watch?v=KGq6z1mEU9Q
1970年~1979年
フランダースの犬 など
1980年~1989年
キテレツ大百科 など
1990年~1999年
ポケットモンスター など
2000年~2009年
マクロスF など
2010年~2019年
日本アニメーションの今後
今や、世界一とまで言われるようになった日本のアニメーション。コロナ禍の影響もありますが、今後はどうなっていくか見てみましょう。
まず、アニメ業界の現状を見ていくとアニメの制作において2400億円、また、配信や海外への展開、キャラクターグッズの販売も入れると2兆円を超えるマーケットがあるとされており、市場規模も年々拡大し続けています。
しかし、コロナ禍によって新作アニメ・映画の延期や中止、施設や店舗の規制などによって10年連続で続いた成長はストップしましたが、コロナ禍でも「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」が興行収入1位になるなどのニュースもありました。
日本では少なからず、コロナ禍の影響により、市場規模は減少しましたが、実は海外のマーケットを見ていくと市場規模が拡大しているのです。
今回、海外マーケットが成長している要因として考えられるのは、まず一つ目としては万人向けを対象に作られている点である。海外のアニメはほとんどが子供向けに作らているので観る対象が限らてします。その点、日本のアニメは子供だけでなく、大人でも楽しめるものが多いので、海外での人気の理由の一つとなっていると考えられる。
二つ目の理由としてはジャンルの豊富である。日本のアニメジャンルにはSF・ファンタジー・恋愛・日常・異世界・コメディ・ホラーなど様々なジャンルがあるので、アニメを観る方に飽きない工夫がされている。この幅広いジャンルが海外の様々な層の客を取り入れていると考える。
そして、三つ目の理由としては動画配信サービスの影響だと考えられる。今回のコロナ禍によって海外ではロックダウンによる外出規制がかかるなど、外に出られない状態が続いたため、動画を観る方が多かったのではないかと考えられる。
以上が海外マーケットが国内マーケットより拡大している要因として感がることが出来る。現在では、広告も実写だけでなく、アニメを使った広告も増えてきているので日本国内のみならず、海外も含め、さらに拡大していくと考えらえる。
以上が、アニメについての歴史から、今後どうなるかを記事にまとめてみました。
次回は「海外からに見た日本のアニメの評価」を記事に書いてみたいと思いますので、よろしくお願いします。